卵と乳の食物アレルギーの次男。
幼稚園生活の3年間と小学生になってからも、食べられない献立だけ
給食の代替食を作って持って行っていました。
現在3年生です。
入園したての年少の時は特に、給食に似た献立を作ることに慣れなくて
料理が苦手な私はかなり手こずった覚えがあります。
待ちわびた食物アレルギー対応食が開始
![学校 給食 アレルギー対応食 通知書 画像](https://mamamokodomomo.com/wp-content/uploads/2020/10/wp-16029369324105117414035621672554-e1602940852391-1024x507.jpg)
長男と次男が通う小学校の給食センターが移転して新しくなり
卵と乳だけのアレルギー対応食が始まりました。
アレルギー対応食を作る設備・環境が整った施設になったようです。
今までは、飲用牛乳だけお茶に変更できましたが
食物の代替食が提供されるのは初めてなので、心待ちにしていました。
食物アレルギー対応給食献立比較表が配布される
前の月に、「いつ、どの献立が何に変更になるか」という献立比較表が配布されます。
![卵 乳 不使用 食物アレルギー対応 給食献立比較表 画像](https://mamamokodomomo.com/wp-content/uploads/2020/10/DSC_0847.jpg)
今まで私が作っていた料理が、全部卵と乳不使用で作ってもらえる!!
私も次男も感動して、大げさに抱き合って喜んでいました(笑)
ただ、パンは代替ができないようです。
給食のパンは全部乳が入っていて食べられないものなので、自宅から準備していきます。
マヨネーズやドレッシングは、卵・乳不使用のものに変更して混ぜてから提供される
今までは、マヨネーズやドレッシングが別で出て
例えばサラダ自体は食べられる場合、学校であえる前に取り分けてもらって
自宅から持って行った卵・乳不使用のマヨネーズやドレッシングを自分でかけていました。
対応食では、初めから食べられるマヨネーズなどをあえて出されるようです。
次男に対応給食の量について聞いてみたら
「スープ系は少し多めな気がする。でも、固形のナゲットなどは決まった数だけだから
お代わりはないから悔しい~」だそうです。
食べることが大好きなので、お代わりができないのは切ないらしいです。(笑)
アレルギー対応食の配送方法
専用のお弁当箱のような容器に入った状態で、給食センターから届くようです。
容器にクラスや名前、対応食の内容が書かれているので
間違うことはなさそうで安心しました。
![卵 乳 不使用 アレルギー対応 給食 提供方法 画像](https://mamamokodomomo.com/wp-content/uploads/2020/10/dsc_08461234495118735960062-e1602939416909-1024x769.jpg)
給食の代替食を続けてきて思うこと、私の願い。
アレルギーが治って、食べられるようになることが一番ですが
そんなに簡単に治るものではなく、個人差はとても大きいですよね。
乳幼児のうちに克服できる子供は多いと聞きます。
でも、その時期を逃すと長丁場になることも想定されます。
給食の代替食作り、ほんとにつらいと感じる親は多いと思います。
献立を常に気にして、家庭の買い出しと別で買い物、料理。
1日に食べられない献立が3つ重なることもありました。
ほとんど代替食・・・給食代は払っているのに(涙)と、どうしても切なく思ってしまうことも。
さらに、給食代替のためだけに買い出しをしたり作ることもあり
家計の負担もそれなりにありました。
おでんの献立のために、食べられるおでんの練り製品を探してスーパーをはしごしたり
どうせ作るなら、と家族の分も煮込んで・・・
時間のない時に作りたくない料理を作る時は、けっこう気合が必要でした。
それでも、子供のために!と文句を言わないようにしていました。
息子だって、アレルギーであることは悲しいし我慢ばかりです。
私が愚痴をもらしていてはいけない、と言い聞かせていました。
数年間続けて、だいぶ作る献立も固定されて慣れました。
冷凍食品を使ったり、手抜きをすることも大事です!
何を作ったらいいか困るなら、子供が好きなものを持たせればいいんです。
冷凍食品のからあげだって、親子で笑顔になるなら大正解です。
園や給食センターや保健給食課の方へ届いて欲しい・・・。
給食の代替が初めての方に、献立例や作り方の案などを提供してほしいです。
すべてではなくていいから、牛乳代やパン代など免除してほしいです。
そして、早くすべての給食センターで食物アレルギー対応食が実施できる環境にしてほしいです。
私がこのブログを始めた理由は、同じ環境で頑張っている方へ
少しでも情報提供できたら、救いになったら、抱え込まないで前向きになれたら
いろんな人に知ってもらえたら、そんな想いからでした。